ノーチューンド

最近やるべき事が多い。だからといって睡眠時間を極端に削って生きている訳ではない。むしろテレビだって観るし音楽だって聞く、Twitterのアプリだって満足せざるを得ないほどには開いてる。何が言いたいかって、決して多忙を極めてるわけではないのだ。なのになぜか余裕がない。時間にではなく精神的になのだろう。

今日の気分の曲を探そうと開いたスマホの曲の一覧に目を通していた。クリスマスも近いことだしシンデレラクリスマス…いや、わたしにはAnother Christmasぐらいがいいのか…。なんて思いながら流れていく曲名の数々を何気なしに見ていた。

 

もし仮に運命の人とやらに会ったらこんな感覚なのだろうか。

それを私の瞳がとらえた途端、不意に手が止まりしばらくその字の羅列から目が離せなくなった。壁の時計の秒針が3回ほど鼓膜を震わせた後、急にサッと意識が引き戻され全身が一度大きく脈打つ感覚があった。

 

僕らだって飛べるよって

手を伸ばした青すぎるあの空へと

届かなくてもいいさ 行くんだ

痛みなんて涙だってきっと

僕らが生きる証だから

何度でも迷ったっていい

生きてゆけばいいんだ

ノーチューンド/KinKi Kids

私が去年の今頃大好きで大嫌いだった曲。イントロが流れると何をやってようと必ず手を止めて停止ボタンを押した覚えがある。それ程までにこの曲は私の胸を押しつぶすことに長けていた。

 

足早に急ぐ早起きの人をみると

なんかやましくなって

隙間埋めるように妙に口数が増えた

 

やりたいことなんて

いつか見つかるよって

焦ってないフリで言った

言葉に背中押された

当時わたしには夢がなかった。やりたいことこそあれど周りの反対を押しきってまでその道に進む勇気はなかったし、なにより親の心配する顔を見たくないと心底思っていた。

この曲はそんな私の背中をそれはもうとんでもない力で押そうとした。けれども私の目の前には道はなくただただ荒野が広がっていた。やりたい事の向こうに未来は見えなかったし、少し方角を変えれば道があり先が見渡せた。どっちの方角を選んだか、そんなことは愚問以外の何ものでもない。自分は本当につまらない人間だと思ったし、自分自身ほとほと呆れた話だと思った。私の憧れの堂本剛が聞いたら失望するだろう、なんて思ったりもした。

この曲の何にそれほど脅えていたのか。きっと聴く度に共感するとともに暗闇に置いて行かれた気持ちになったからだろう。この歌詞を素直に受け取れないほどには私の心は複雑に歪んでいた。

結局、この歌詞の中でその当時受け止めきれたワードと言えばひとつ

生きてゆけばいいんだ

 

正直なところ、この曲だけではこの言葉さえも疑っていたかもしれない。堂本剛のエッセー本を読んで世界が変わるという経験は今までの私の人生の中で最大の衝撃と安心感を与えた。

ぼくの靴音堂本剛

この話をはじめると長くなるからそれはまたの機会にするとして…

結論だけ言えば生きようと思った。ただ生きて行こうと思った。それが私にできるただひとつのことだと思った。現実は厳しい。それでも闘おうと思った。

 

一人の部屋に今よりも若い2人の堂本の声が響く。彼らの音の魂は雫となり目元に現れる。痛みだって苦しみだって生きてる証なんだ。私の可能性を秘めた鼓動はまだ続いている。

カウントダウン

毎年恒例のジャニーズカウントダウンの発表があり、同時にテレビ中継もあるということも知らされる。

KinKi Kidsの名前はテレビ中継の方にだけ。なんだがよく分からないけど紅白の後NHKから生中継でもされるのだろうか。これは私のただの憶測。

たった一個人の憶測なんてものともしないのが世の中だ。それこそKinKi Kidsの紅白出場なんて少なくともあと5年はないだろうなんて勝手に考えてた人間が現にここにいる。正直なところ、紅白出場を延ばしているうちにそれほどの人気をなくしてしまうのではないかと内心笑ってたぐらいだ。

今まで恒例だった東京ドームでの大晦日のコンサートは来年以降どうなるのだろうか。いちファンとしてはどうしても考えてしまうのだが。予想したところでどうにもならないんだ。

 

つくづくわたしの脳内と現実とは無関係だ。

私の脳内に「SMAP解散」の文字はなかった。「世界に一つだけの花」はJPOPにすこぶる疎かった小学生の私だって知っていたし、「機嫌が良いとき口ずさむ曲」というプレイリストがあれば入っていたぐらいだ。

当時、特に知りもしないのにジャニーズにいい印象は持っていなかったし、チャラついた集団とぐらいに思っていたかもしれない。小学生の私に「キミがたまに口ずさんでいるその曲、キミの毛嫌いしているジャニーズの曲なんだよ」なんて言ったら軽く5秒は固まったかもしれない。

私がSMAPを認識した時には彼らは立派な大御所になっていた。と同時に個人の活躍が目立っていたためかどうもグループの印象が薄かった。若干ジャニオタキャラを背負っていた中高生時代でさえもSMAPのことをほとんど知らなかったし大して知ろうとも思わなかった。

ある時、追い詰められた私が手を伸ばした先に堂本剛がいた。なにがなんだか分からないまま彼に落ちた。その後KinKi Kidsが大好きになるのだが、そのKinKi Kidsが大好きなのがSMAPだった。彼らはことあるごとにSMAPの名前を出し「兄さん」と慕っていた。KinKi KidsにとってSMAPはアイドルだったのかもしれない。そのSMAPが解散するという。それも今年をもっての解散。

今年の東京ドームでのカウントダウンは終わりへのカウントダウンなのだろうか。彼らを慕う後輩達とその後輩達を愛するファンで彼らの解散をカウントダウンする世界なんてあって欲しくなかった。

永遠が欲しい。

馬鹿なことを言ってることは百も承知だけれど今はただ「永遠」の二文字がチラついては消える。いっそうのこと冬の寒い日に空から降りてくる儚い白に「永遠」と名付けたいとさえ思う。